最近の、面白かった事についてさらに伺いたいですね。
趣味という事になるか分かりませんが、街で目につく文字を、ひたすら読んでしまいますね。
面白いのは、まずは看板でしょう。看板や掲示物は、大手の企業の広告の類をのぞけば、ほとんどが個々人が作成した手作りのものです。この内容を確認するのは楽しいことですよ。
個人が勝手気ままに作成したものですから、誰にも査閲されることなく、原案が採用されることになります。制作者の気持ちがダイレクトに伝わってきて、個性が感じ取れるのです。
真面目なメッセージを伝えたいのに、文法上の間違いとか、誤字脱字、下手な字などといった障壁に阻まれて、実に愉快な雰囲気になってしまっている看板を、街を歩いていればしばしば見かけるでしょう。
ところが、注目すべき看板は、面白おかしい内容の看板ではありません。注目すべきは、多色刷りで文字が書かれ、特に強調すべき語句が、黒以外の、例えば赤色でかかれたような看板です。
こういった看板が年月を重ねると、黒以外のインクで書かれた語句が、消えてしまうのです。
強調したい語句が先に消えてしまうのですね。
これは、考えれば考えるほど興味深い事だと思います。印刷会社やインクを製造する会社が、全ての色の寿命を統一させるような工夫をすべきだという真っ当な考えはひとまず置いておくとして、色々な事を考えさせてくれるきっかけとなるのです。
例えば、こうです。犬の は が片付けましょう! と来ました。
誰が、何をするのかが脱落しています。
その通りです。この場合は何をすべきかは図示してあるので、文章が不完全であっても意味を取り違える事はありませんが、たとえ絵が無かったとしても、日本人であればこう書いてあれば正確に意味を把握できるはずです。
もっといえば、看板が無くても誰もが知っている事なのです。だから、大切な語句が消えていても内容が分かるのです。この看板をみて初めて、ああ、犬の糞は飼い主が片付けなければならないのだな、と思う人はいないでしょう。
少なくとも、今は、そうです。
なぜ大切な語句が消えてもなお全体が理解できるのかというと、今の日本人にとって常識的な事が書いてあるからです。
暗黙の了解、といわれるものですね。ただしその了解がいつまでもつかは分かりません。10年後も同じように理解されるかどうかは分からないのです。
どこかの政党のポスターのように、色を逆転させても良いかもしれません。色そのものは、安定するでしょう。
なぜ大切な語句が消えてもなお全体が理解できるのかというと、今の日本人にとって常識的な事が書いてあるからです。
暗黙の了解、といわれるものですね。ただしその了解がいつまでもつかは分かりません。10年後も同じように理解されるかどうかは分からないのです。
どこかの政党のポスターのように、色を逆転させても良いかもしれません。色そのものは、安定するでしょう。
今回は、家事の事は伺えませんでした。
大切な事ほど消えやすい、忘れやすい、ということはもちろん、家事の分野でも当てはまる事なのです。消えやすい事を、保全しようとしている人が、少なからずいる、ということを確認するべきでしょう。
再開されたんですね。今後も楽しみにしています。
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